fc2ブログ

自然の掟。。

みなさま、こんにちは。

桜の季節もあっという間に終り、
日本中が揺れて、瞬間に人生が変ってしまいます。

自然という人の想像や知性を超えた力に
そのはかない現実に、結局なす術もないという事が身にしみます。

人は、人と比べて初めて、自分の状態や立ち位置が分かるものです。
区別化は、時として憧れとなり、その理想に近づくための努力となりますが、
物事を上下関係に立ってものを見ていくと差別を生みます。

先進国といわれている国の価値観は、
少しずつ変ってきていると感じ始めている方も増えているような気がします。

どんな職業の人でも、まず「人としてどうか。。」という見方が
大切になってきているような気がします。

「今あるものに満足する」。。というのは、よく聞こえますが、
それだけでは足りなくて、「いつ」「どのように」「どうしたら」
と言った工夫をする事で、「今あるもの」が生きるのだと思います。

自分が、人としてどうか、と尋ねられると、あまり自信もないものです。
相手によって、物事によって、環境によって変るものですし。。
なんて弁解ばかり。。なのです。。

まあ、なかなかそのように頭を切り替えるのは難しいものです。

豊かに生きるというのは、好きなものに囲まれるという事なのでしょうか。。
しかし今回の熊本での地震で、「何もなければ、捨てるものもないし、
整理することもしなくてもいいし、危くもない。。」
そう言っていた被災地の方がいらっしゃいました。
。。深いです。。

最近、ハンセン病と最高裁との長年の問題が進みました。
でもちゃんと解決はしていません。。悲しい事です。

当時は不治の病だったハンセン病は、感染を恐れられました。
隔離収容所に入れられ、まったくヨーロッパの歴史にあるような
劣悪な環境の下、人の気まぐれな差別的判断でもって、
多くの患者さんの命を奪いました。

つい最近まで存在していたと言う事は、忘れてはならない事です。
病気になった人を助けるのはなく、罪人のような扱いをした日本国です。


今、その日本の土がもごもご動き出しています。

人は、自然に刃向かう事はできないよ、人が人を裁く事はできないよ、
と教えてくれているのかもしれません。

自然が与えてくれた命や人の縁を大切にしていきたい。。
そう思っているこの頃です。

熊本の被災した方々の生活が、一日でも早く戻る事を心より願っています。





スポンサーサイト



熊本。。

熊本で大きな地震がありました。

私の両親は熊本で、
私は、小さな頃に住んでいたことがあります。
東京に来てからも折あるごとに戻ったりしていました。
昨夜はよく眠れませんでした。

母方の親戚は大丈夫だったのですが、
父方の親戚とは連絡がまだ取れていませんでしたが、
やっと連絡がありました。
よかった~。

連絡取れた母方の従姉は、ジャムを作っていた最中で、
まったく想像もしてなかった言っていました。

熊本城が、どんどん崩れているのを見るとショックです。。

川内原発、大丈夫です、と言っていましたが、
本当ですか?

余震は、まだまだ続くと思います。
東北の時も、余震が長かったですね。
いつも揺れているような感じでした。

お天気も崩れるという予想もありますし、
みなさま、風邪などひかないように、
ケガをしないように、
多くの人が助かりますように、
まずは安全なところに避難できる事を心より祈っています。




音楽療法ミックスメソッドの講習

この週末、音楽療法のミックスメソッドの講習がありました。

今回のように、現場で療法をおこなっている人と
研究発表をする人と
一緒に集まると言うのは、とても良いものです。


ミックスメソッドというと、
私のいたフランスやスイス、いわゆる西欧の児童施設では、
毎週1~2回、会議があります。
必ず、所長、事務員、精神科医師、保健士、
心理学者、クラス担当、教化担当、そしてさまざまな療法士たち。。
とにかく全員参加するのが義務となっています。

ひとりひとりの子供に対して、いろいろな見方ができます。
そして1週間の間にあった問題、解明、所見、
そして将来の方向性を決めます。

こういった会議は、とても大切に扱われるので、
ミックスメソッドのようなひとつの研究方法は、
アンケート的に終るのではなく、
それによって『生きたカルテ、書類』を作ることができるのです。


聴きながら、パリ大卒業試験の口頭試問を思い出してしまいました。
自分の論文について作ったパワーポイント画面を映して、
用意した紙を見てもらいながら解説していきます。
私のは、なんちゃってフランス語なので、
解説後の試験官や聴衆からの質疑応答が理解できず、
かなり辛かったのを覚えています。

言葉が分からなくて、何度も聴き直してしまったりして、
とうとう1人の試験官が、アキヨ猿にも分かる?!
ような単語で親切に仏仏訳をしてくれました。
身体中震え、息も絶え絶え、心臓が鼻から出そうなくらい
恥ずかしかったです。
でもなんとか学位もらえました。。良かったです。
3回受験してやっと入学できたので、
まあ全部で5年かかっちゃった。。です。

日本のこうした学会での発表は、
全体的にとてもおとなしいと思います。
そして質問がある場合は、
大変、的を得た良い質問が多いと感じます。

さまざまな人種が混ざり合ったグループと
日本の日本人を中心とした文化のグループとは、
やはり質問も討論も内容的に違います。

こうした自分の経験が、療法に限らず、
人のさまざまな考え方や習慣への理解につながっていけば良いな、
と思いました。

川沿いの桜の花びらの降る下を歩くと夢のようで、
桜酔い気分になりました。




えっ。。私が罪人?。。

みなさま、こんにちは。

20年前のパリとここ5~6年以来のパリ。。
昔は良かったな。。などと思ったりします。

パリに生まれ、育つ人も、同じ事を思うのだろうな。。
そうなると東京は、天国に見えます。

そんな東京も、パリの後を追うように、
似たような事件が多くなりました。

もしこれが。。
外国人ばかりが加害者になり、日本人を狙っていったら。。
被害者も外国人も多くなっていったら。。

身の回りの事件が、他人事ではなくなります。。

そしてまるでロトに当たったか、外れたかのように、
居合わせなくて良かった。。などと思うだけになります。

聖書という本に書いてある、罪人。。という言葉、
昔はなんとなくこの言葉は、暗い気持ちになるから嫌だな。。
と思っていました。

私は、どこの宗教いも入っていない者ですが、
生きるために私たちが毎日やっていること。。
空気を当たり前のように吸って、
他の命をいただいて、それを食していること。。
これは、立派な罪人だと思うようになりました。

大抵の植物は、存在するだけで空気をきれいにしたり、
虫は、花粉を運んで植物を増やしたり、
動物の食するものになったりします。
動物は、自分の身体を食として捧げたり、排泄物で土を肥やしたり。。
ちゃんと還元しています。

人は、存在するだけで、空気をきれいにするでしょうか?
自分のお肉を食べさせるような事をするでしょうか?

人は、なにをやっているのでしょう。。
何をもたらせるのでしょう。。

まだ食べられる命を賞味期限というもので縛り、
命をクスリ漬けにして、「食べ物のようなもの」を作っている今、
「安全」とはなんでしょうか?

命を物のように扱っています。

感謝は、命を捧げてくれる野菜や果物やお肉。。
それを育ててくれている空気、地球、宇宙。。

人ができることは、「感謝のこころ」なのかもしれません。。

冷蔵庫のすみっこに置いて忘れてしまった食べ物を
腐らせて捨てる時は、心が痛みます。

「いただきまぁす。」
この意味を聞かれて、訳すのに苦労をした事があります。
直訳すると「もらうよ。」「食べるよ。」という事になりますが、
「いただきます。」は、誰に対して、何に対して言っているのか、
なぜわざわざ食べ物を目の前にして、「食べるよ。」と言うのか。。

そしてまた「ごちそうさまでした。」もいい言葉です。

私は、罪を持っている存在ながら、この言葉たちのすばらしさに
少し誇らしげな気持ちもするのでした。

どんな状況でも、こういった言葉を発していきたいものです。
食するために捧げてくれた命は、
忘れがちな感謝の心を繰返し教えてくれているようです。



プロフィール

ランベール甲斐あきよ

Author:ランベール甲斐あきよ

東京生まれ、熊本育ち。パリに20年余り在住、現在は東京と往復。
東京・杉並区で心理カウンセリングを取り入れた音楽療法をおこなっています。

メンタルが疲れた方、音楽のプロなど、さまざまな方が来所、リモートしています。ライアーをYouTubeで弾いています。作曲や編曲がPiascoreにあります。専門は、フランス近代と古楽です。かえるのピクルスが好きです。
国立音楽大学教育科、パリ・エコール・ノルマル音楽学校の声楽演奏科、ソルボンヌ‐パリ・デカルト第5医科大学卒業。フランス国家登録音楽療法士、公認心理師、日本音楽療法認定音楽療法士。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

ブロとも一覧

ブロとも一覧

belle

FX業者