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学会~小児病棟の緩和ケアー


お気まま音楽な芸術的日々



前回の続きです。

音楽療法学会は、日本の学会のように、研究発表が中心です。
しかし、1日目の最後に話をしたマリーという療法士さんは、
自分の仕事について、トツトツとお話をしてくれました。
彼女は、小児緩和ケアーの音楽療法士、そしてギタリストでもあります。

マリーは、その小児緩和ケアーに入院していた、当時6歳くらいの女の子、
その両親との3人の間に起こった「感動的な一瞬」のお話してくれました。

その女の子の最期の願いは、
離婚した両親に、これ以上ケンカしないで欲しい、という事でした。
両親は、いつも別々に病院にやって来るのですが、
鉢合せをするたびにケンカがはじまってしまいました。

その日はいつものように、女の子は、ベッドに横になっていました。
ちょうどマリーは、その際で、ギターで子供の曲を歌っている最中でした。
その時、両親が同時にやってきてしまったのです。

でも不思議なことに、曲を聴いた途端、その曲知っているわ、という事になり、
2人で歌い出したそうです。
曲が終って、両親は、お互いに黙って見つめ合ったまま、
女の子のお腹の上で、手を握りあった。

その手が3人になった。

この事があった後すかさず、マリーは、両親と話をした。
両親がまだ愛し合っていた頃、
その女の子に歌ってあげていた曲だった。

この日両親は、初めてマリーの言う事に耳を傾けてくれたと言います。
そして、女の子の願いを伝えたそうです。

女の子は、その数日後に亡くなったそうです。

たったそれだけのお話だったのですが、
それを聴いていた人達からは、すすり泣きが起こりました。

マリーの働いている小児病棟は、0歳から19歳までが入院しています。
でも、23歳の子も受け入れていた事があったと話してくれました。
長い病院生活の中で成長してしまったため、
いろいろな面で追いつかず、子供の中にいる必要があるからだそうです。

子供の緩和ケアーは、大人と違って、病名は告知しない、
でも子供なりに、分かっていると話してくれました。

まれに治って帰れる子もいれば、治らず去って行く子もいます。
親がいて、病状的に可能であれば、
最期の時期を家族で過ごして旅立てるように、家に帰すそうです。


鋭い感性と観察を持つ彼女の経験からきた熱い言葉は、
時間の45分を超えても、もっと聞いていたい雰囲気にさせました。
それほど、観客は深く聞き入っていました。

最後に彼女が、2~3曲演奏した後、壇上を降りようとすると、
時間がとうに30分超えているにも関わらず、ブーイングが起こってしまいました。

彼女は結局、その後10曲ほど、コントラバスの男性と、
子供の曲とポピュラーを弾語りしてくれました。

知っている曲は、参加者全員で歌ったり、手拍子打ったり。


私は、他の人を含めて、すでに30枚くらい写真を撮っていたのですが、
何枚撮っても彼女の周りには、
いつもたくさんの丸いシャボン玉のようなものが、フワフワ写っていて、
まともに撮れませんでした。


写真の中央にいるマリー。
彼女の頭のど真ん中に、
とても大きなシャボン玉が飛んでいるので、載せてみました。

こういった事に詳しい友人に聞いてみたら、
このシャボン玉は、オーブとは言って、霊体なんだそうです。


不思議。。



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学会~フランス音楽療法士としての仕事




この週末、ナント大学で、音楽療法に関するセミナーがありました。

2日間で、10人ほどの療法士が、自分達の療法の方法紹介、
療法について苦労した事、これからの課題などについて話しました。

病院や施設では、医者、心理療法士、看護師、教員が、
音楽療法士として活躍しています。
ですから、楽器のできない人も、音楽療法士として働いています。
彼らはすでに病院で働き、2つのタイトルのお給料をもらいながら、
自分の専門+音楽療法を行っているのです。


そして最近、増えているのが、音楽家の音楽療法士です。
しかし、この音楽家の音楽療法士は、
音楽家として音楽学校を卒業しているだけなので、
病院や施設で、音楽療法士のみとして、
正社員としてお仕事をいただき、
食べていくにはまだまだ遠い道のりです。


ハンディキャップや精神疾患の人の施設、職業訓練所などは、
アソシーエーションの形を取っています。
国家教師Education Nationalには、
国家資格などの「資格」が必要で、人数枠が制限されていますし、
純粋に音楽療法士として就職する場合は、
心理学資格を持つ音楽療士が、中心となっているのではないかと思います。

音楽教員資格で、働くという手もありますが、
病院や施設には、あまり需要がない場合が多いです。

ですから、現実的に、音楽家の音楽療法士が入ってお給料をいただく。。
というのは、皆無に等しいのが現実です。

フランス音楽療法は、大学の医学部や心理学部に設置されています。


写真は、お話の最後に、
精神科医(左)と音楽家音楽療法士の卵ちゃんのデュオをしてくれた時のものです。
急きょ休み時間にデュオを組み、練習合わせしたのだそうです。
子供の歌やフランス・ポピュラー・ソングを歌っていました。
フランスには、フランスを第2の国と言えるような、
北アフリカ(チュニジア、アルジェリアなど)、
そして南アフリカのセネガル、トーゴなど、
いわゆるフランスの旧植民地の人がいます。

文化は違っても、言葉が共通してたりします。
彼らは、フランス語を母国語または第1外国語として、
小さな頃から勉強しているのです。
一緒に口ずさんで手をたたく観客たちの中で、
私は、外国人なんだな、ということを痛感しました。




母の2つ目の誕生日




3月は、母の2つ目のお誕生日がある月です。

この日は、父と私のPCにカメラとマイクをつなげて、
日本とフランスで長い事話しました。
弟の姿も見え、弟のお嫁ちゃんや姪の姿も見え、
みんなで、すごい時代になったなぁ。。。。なんて感激しながら。。

母は、仏壇の横に置かれた箱の中にいます。
父は、あんなに冷たくて暗いお墓にはひとりにしておけないんだよ、
自分が死んだら、一緒に入るんだ。。
父は2年経った今も、箱の母と共に暮しています。

父と話しながら、父の背後にある母の写真をチラチラ見ると、
写真なのに、見るたびに母の表情が違いました。。
嬉しい顔、ちょっとさびしそうな顔、色っぽい顔、おかあさんの顔。。

私は、その写真に向かって、心の中で言いました。
元気そうならいいよ、今日は、あっちの世界でのお誕生日おめでとう。


私は、まだ泣きたいのを我慢して、家族みんなで楽しい会話をしました。

姪が、いちいち自分の食べ物のアップをカメラの前に写してくれました。
から揚げとか、お刺身とか。
それがなんとも美味しそうだったこと!

私は、冷蔵庫からビールを持ち出し、
カメラの前に写っている食事をさかなに飲みました。

父は、以前よりちょっと太って元気になったかな。。
でも、俺ももう、あと2年くらいだよ~なんて言う。。
父はなんか生きがいをさがさないと。。と内心焦った私。

20年以上続いた母の長患いの看病に、
実は、ぐったり疲れきっていた私たち家族。
急にいなくなったから寂しいけど、今、一番平安だな、と父が言いました。


なんだか、父の気持ちがわかるような気持ちがしました。




プロフィール

ランベール甲斐あきよ

Author:ランベール甲斐あきよ

東京生まれ、熊本育ち。パリに20年余り在住、現在は東京と往復。
東京・杉並区で心理カウンセリングを取り入れた音楽療法をおこなっています。

メンタルが疲れた方、音楽のプロなど、さまざまな方が来所、リモートしています。ライアーをYouTubeで弾いています。作曲や編曲がPiascoreにあります。専門は、フランス近代と古楽です。かえるのピクルスが好きです。
国立音楽大学教育科、パリ・エコール・ノルマル音楽学校の声楽演奏科、ソルボンヌ‐パリ・デカルト第5医科大学卒業。フランス国家登録音楽療法士、公認心理師、日本音楽療法認定音楽療法士。

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